1989年ビルボードチャート年間シングルランキング トップ10 |
No.10 Giving You The Best That I Got / Anita Baker |
No.09 Baby. I Love Your Way – Freebird Medley / Will To Power |
No.08 Girl You Know It’s True / Milli Vanilli |
No.07 Wind Beneath My Wings / Bette Midler |
No.06 Cold Hearted / Paula Abdul |
No.05 Miss You Much / Janet Jackson |
No.04 Straight Up / Paula Abdul |
No.03 Every Rose Has Its Thorn / Poison |
No.02 My Prerogative / Bobby Brown |
No.01 Look Away / Chicago |
1967年にデ・ポール大学の学生たちが中心になり、前身バンドである”ビッグ・シング”を結成。 1969年にジェイムズ・ウィリアム・ガルシオのプロデュースによりコロムビア・レコードからデビュー。 その後、”シカゴ・トランジット・オーソリティ(シカゴ交通局)”から”シカゴ”とバンド名を変えたが、これはシカゴ交通局からの苦情がきっかけであった。 バンドはデビュー・アルバムから3作連続で2枚組アルバムを発表。 1970年にはシングル「25 Or 6 To 4(邦題: 長い夜)」が世界的に大ヒットした。 その後も「ぼくらに微笑みを」「ビギニングス」「サタデイ・イン・ザ・パーク」「愛のきずな」「君とふたりで」などを発表し、シカゴは人気ロック・バンドとなる。 初期には政治的な歌詞を持つ曲が多かったが、徐々にその特徴は影を潜め、1976年にはラブ・バラードである「If You Leave Me Now(愛ある別れ)」が全米ナンバーワンになった。 その後、ギタリストのテリー・キャスの拳銃暴発事故(自動式拳銃の薬室に残った弾丸の誤発射)による死亡、プロデューサーであったガルシオの解雇などによりグループの方向性は変化し、トム・ダウドプロデュースのアルバムは商業的に失敗する。 しかし1980年代に入ってフル・ムーン (WEA系) に移籍し、デイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えて復活。 以後は1982年の「Hard to Say I’m Sorry(素直になれなくて)」(1982年年間10位)、1989年の「Look Away(ルック・アウェイ)」(1989年年間1位、作曲はダイアン・ウォーレン)など、ラブ・バラード路線のヒットを連発した。 |