年間推定7800万人が訪れるという大阪の観光地と言えば! ミナミの道頓堀!
グリコの看板やかに道楽、金龍ラーメン、くいだおれ太郎の人形などなど! 海外からも多く訪れる名所【食い倒れの街】として有名な道頓堀!
ここでは、そんな道頓堀にまつわる【通なら知ってる豆知識】を掲載しております。
◆道頓堀五座
江戸時代に南船場から、芝居小屋が移って来たのがきっかけに道頓堀で繁栄したと言われております。
当時は大小様々な芝居小屋が40~50軒あり、中でも有名な芝居小屋だったのが【道頓堀五座】
・朝日座 ・角座 ・浪花座 ・中座 ・弁天座
日々、歌舞伎や浄瑠璃が演じられて、多くの人達で賑わい、また道頓堀五座の舞台を目指して、やってくる役者も多かった。
その名残として毎年6月に行われる【船乗り込み】と言われる、歌舞伎役者が顔見せのために道頓堀川から船に乗ってやってくる行事が行われています。
歌舞伎ブームが17世紀後半に生まれ、その大半がここ、道頓堀で初披露されていました。
そうした事で道頓堀は芝居の都として発展し、全国各地から訪れる観光地へとなっていった訳です。
◆道頓堀の由来
安井 道頓(やすい どうとん、天文2年(1533年) – 元和元年5月8日(1615年6月4日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての商人。
道頓堀の開鑿者として知られる。苗字は安井成安(やすい なりやす)で、通称は市右衛門。
剃髪後に道頓と名乗る。※ウェキペディア参照
「安井道頓安井道卜(どうぼく)紀功碑」は大阪市中央区、日本橋北詰交差点の北東にあります。
安井道頓は、この地域を発展させるために自分の私財を投げ売って、堀りを作ったと言われております、しかし安井道頓自体は道頓堀が完成する前に大阪の陣で亡くなってしまいます。
安井道頓の功績を讃えて付けられたのが道頓堀の由来となっております。
ちなみに道頓堀の橋で一番有名な【戎橋】の由来は【今宮戎】の参道だったので、戎橋と名付けられました。
道頓堀・戎橋から見える看板では一番大きい【グリコの看板】は2017年7月現在で第6代目!
ちなみにこのグリコの看板の初代設置は1935年、その前にあった広告で一番大きかったのは【福助の足袋】
▲1935年当時の初代グリコの看板。
この戎橋がありグリコの看板がある、この道頓堀川も今でこそ【道頓堀リバーウォーク】と言う名で、道頓堀川の辺りを歩ける観光スポットになりましたが、一昔前までは、まるで家の裏庭のような風景で立ち入ることはもちろんできず、雑草やゴミが散乱してる汚い風景でございました。
食いだおれの街として有名になりましたが…
もともと、この【くいだおれ】は【食い倒れ】ではなかったと言う話なのです。
元々は道頓堀川を渡す橋があり、その橋は老朽化で壊れたりすると橋の近所の店が自腹で修復していました。
橋から近い順で負担額が異なるため、橋の修繕費が大きいお店は、橋が壊れるのが大変迷惑で、特に橋の杭が破損することが多いので「また杭が倒れた」負担額の大きな店にとって嫌なこと、それが【杭倒れ】それが由来だと言われています。
しかし、言葉を変え【杭倒れ】から食の街としてイメージアップするために【食い倒れ】に変えたとの話があり大阪らしい発想で変化させたと言われています。
ちなみに【くいだおれ太郎】は、なぜくいだおれ太郎と言う名前になったかは、1994年に関西国際空港が完成した際に、セレモニーとして、くいだおれ太郎が飛行機に乗るために、フルネームが必要だったためなんですね、当時は名前がなくお店の看板人形としてあったのですが、今では大阪道頓堀のシンボルとなり、くいだおれ太郎として多くの人たちが知る存在になりました。
老舗店の「くいだおれ」が閉店した際に一旦、撤去されるのですが見事に復活!
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